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2020.09.07
これまで必要とされていた「正しい解を導く力」は,これからの社会では必要とされなくなると言われています。子供が生きる複雑で多様なこれからの社会は,正しい解のない課題に取り組み,より良い社会の創り手となることが求められます。
算数科の授業は,ただ1つの正しい解を導くことがゴールという授業観に囚われすぎてきたように思います。極端なことを言えば,子供がいくら懸命に考えていても,正しい解を導けなければ評価されないような場面です。
教育は大きな転換期を迎えています。この機会に,子供が学校で学ぶ意味,教科を学ぶ意味,教師の役割など,真剣に考えていきたいと思うようになりました。
まずは,これまでの算数の授業観を視点に,これからの算数の授業で大切にしたいことを考えていきたいと思います。そんな思いから,今回のタイトルをつけ,複数回投稿していきたいと思います。
決して正解を追求することや正解がある問題を否定するものではない。その中で育つ力があることも分かるからです。私がもっている問題意識は,正解に絶対的な価値をもってしまいがちな子供や教師の授業観や集団の状況です。手探りですが,子供の事実を基に考えていきたいと思いますので,どうぞ皆様のご意見をお待ちしています。
子供は,それぞれ考えたことをノートに書きました。中には次の子供のように解決に至らなかった子供もいます。
徹底したいのは,自分の頭に浮かんだこと,試したこと,間違えたこと,やり直したことなど,全て表現することです。私の問題意識にあるような算数観から,正解までたどり着けない考えは書けない,消さなきゃいけないと感じている子供が,想像以上に多いということは理解しておく必要があります。
人間の脳は失敗を避けるように働きます。これは子供も大人も同じです。その自然な働きを否定せずに,間違いややり直し,解決の途中まででも,自分が考えたことを表現できたことを心から歓迎することが教師の役割として大切にすべきことだと思います。
自分の考えを表現するという目的なら,ノートや学習形態の形式は自由であることを大事にしています。
メール:shida@fusho.ngt.niigata-u.ac.jp