勝手に学級会奥義③~納得できなくてもいいですか~

2019.09.23

 「先生~,私は今回納得できなかった~」

6年2組のある女子児童(Hさん)が,附属オータム研修会での学級会の授業後,残念そうに私に言いに聞きました。学級会では,これまで続けてきた1年生との交流活動を,他の学年にも広げていくかどうかについて話し合いました。これまでの学級会では,みんなが納得することを目標として話し合ってきました。だから,このHさんのように,納得できなかったことが残念だという気持ちは,よく分かりました。

 しかし,…ん?納得できないことが残念?本当にそれでよいのか?

 ふと,Hさんの表情を見ながら,今聞いた言葉を思い返していると,そんな疑問が浮かんできました。また,授業後に行った協議会(指導者:新潟薬科大学 橋本定男先生,新潟市教育委員会学校支援課 三條貴之先生,新潟市立新津第一小学校 齋藤航先生)では,私の授業の問題点から,その疑問がこれからの重要な課題になることが分かりました。

  「納得するために話し合うのではなく,話し合った向こう側に納得が見えてくるのでは」

 私は,子どもに納得することを強要していたのかもしれません。直接的な言葉で「納得することがよい」「納得しないことがよくない」と言ったことは一度もありません。しかし,子どもは教師の一挙手一投足を本当によく見ています。わずかな言動や言葉の端々から,私が納得することを促していたのかもしれません。反省です。

 6年2組は,誰が発言しても共感的に聴くことができ,他人の失敗を励まし,男女分け隔てなく接する温かい学級です。これから目指すのは,その支持的風土の上に積み上げる「意見を吟味する」「主張を戦わせる」「思いをぶつけ合う」ような話合いだということが見えてきました。問題の解決策についてのよさや改善点を明らかにし,学校や学級にとってよりよい解決策を探る話合いです(こう書くととても当たり前なのですが)。納得軸の形や使い方も,再考が必要のようです。「納得できなくてもいいんだよ」と,教師が(あるいは子ども自身が)胸を張って言える授業にしていかなければなりません。

 何だか懺悔のような投稿になってしまいました。皆さんにとっては,百も承知のことですよね。未熟な八子が足を踏み外さないのは,素晴らしい子どもたちと頼もしい指導者の方々のおかげです。

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