教師の指導観と指導技術〜教育実習を通して①〜

2019.11.02

昨日まで二週間,大学3年生の教育実習生2名と一緒に過ごしました。

実習生は,熱心で誠実で,チャレンジ精神溢れる素晴らしい方々ばかり。

年に何度かある教育実習期間。私は学生を指導する側ですが,学生の授業をみたり,学生と話したりする中で,自分自身が新しく気付いたり勉強になったりすることがたくさんあります。

これから何回かに分けて,いくつか紹介していこうと思います。

今回は,教師の「指導観」と「指導技術」。

夏に大学1年生が授業参観実習にいらっしゃいました。その時のレポートに次のように書かれていました。一部抜粋して紹介します。

志田先生の授業の行い方に関しては,児童が主体的に授業に参加し,学習したことが身に付きやすいような工夫がなされていると感じた。児童の意見の間違いを児童に指摘させたり,言葉の表現の仕方など児童の意見を授業に取り入れたり,隣の人と話し合わせて納得してから座るように指示したりしていた。この時,納得していない児童に対しては立っていることを価値付けてから,他の児童がフォローするのも価値付けていた。志田先生自身も教えるという立場に立つばかりでなく,児童の発表の意味がわからないときには質問したり説明し直させたりしていたこともあった。

他の学級の授業では,児童の発表のたびに先生が児童の考えを汲み取り,まとめて言い直していた。どちらも先生が児童の理解を進めるために工夫している。その方法が,先生がまとめて分からせるか,児童同士の交流で分からせるかで違うだけだ。しかし私は,児童が自力で理解してもらえるように説明する力がついたり,他人の説明を理解できるようになる力がつく授業の行い方が良いと思った。

大学1年生が1日授業を見ただけで,こんなことに気付けるのかと驚きました。

この実習生が採り上げた私のやっていること(指導技術)は次の通りです。

●間違いを積極的に扱い,その根拠を問う

●子供の言葉を変換せずそのまま授業で扱うこと

●少人数で一人一人が説明する(アウトプットする)場を確保すること

これらは,子供に考える力をつけたい,子供が話しやすい授業にしたい,自分と自分以外の違いに関心を向けさせたい,等の子供にかける願い(指導観)があるから,私が自然とやっていたり意図的にやっていたりすることです。

つまり指導技術は指導観があって初めて生まれるものだということです。言い換えると指導観ないところに指導技術は生まれず,もしそのような技術があったとしても,あまり意味をなさないということです。

実習生を始め,我々教師も,気がつくと「何をどのようにするか」という方法ばかり話題にして,「何のために」「どんな子供を育てるために」という目的が薄れてしまいがちです。

「指導観」があって,その後に「指導技術」が形成される。

このことは,2月の初等教育研究会のワークショップでも詳しくお伝えする予定です。

興味のある方はぜひ参加していただければ嬉しいです。

またご意見ご感想は, shida@fusho.ngt.niigata-u.ac.jp までお願いします。お待ちしています。

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