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2019.12.10
水俣病が熊本で公式発見されてから9年後,新潟県においても阿賀野川流域で水俣病が発生しました。1956(昭和31)年の出来事です。
熊本と新潟で発生した水俣病は,四日市ぜんそく,富山のイタイイタイ病と合わせて,いわゆる日本の四大公害と呼ばれています。このころの公害の典型は,企業が加害者となり住民に被害を与えたもので,経済発展に伴って生じたひずみとも言われます。
本小単元は,このような公害を社会的事象として採り上げて学習する単元です。また,この小単元を通して育む資質・能力として,新学習指導要領では以下のように記載されています。
(5)我が国の国土の自然環境と国民生活との関連について,学習の問題を追究・解決する活動を通して,次の事項を身に付けることができるよう指導する。
ア 次のような知識及び技能を身に付けること
イ 次のような思考力,判断力,表現力等を身に付けること
以上を受けて,単元の前半を次のステップで組織しました。
①北九州市の事例を採り上げ,公害の原因や発生時期,公害防止の取組を追究させる学習問題を設定する(第1時)。
②第1時において設定した学習問題を追究させる(その日の宿題)
③調べて分かったことを共有させた後,新潟水俣病の事実を伝える(第2時)。
16人のプレゼンの内容やよさを共有させた後,子どもたちが住む新潟にも「新潟水俣病」という公害があった事実を伝えます。驚きを隠せない子どもたちに,詳しく調べてみようと投げかけ,新潟市北区にある「新潟県立 環境と人間のふれあい館~新潟水俣病資料館~」に出掛けることを提案します。
④新潟水俣病について詳しく知るための調査活動を設定する(第3・4時)
見学の中で特に印象に残ったのは,語り部である山﨑昭正さんの語りでした。
「私の裁判で最後にしたかった。その思いで頑張った。最後の1人まで救いたかった」
「新潟水俣病になってよかった。なぜなら,新潟水俣病についてたくさんの人に理解してもらえるから」
山﨑さんから語られる実体験,その一言一言の重さ。子どもたちの心に,確かにつきささりました。
⑤新潟水俣病について分かったことをプレゼンにまとめさせる(週末の宿題)
⑥まとめたプレゼンを共有した後,新潟水俣病を発生させないための取組を追究する学習問題を設定し,予想を考える。
新潟水俣病の真実を知った子どもたちに,「水俣病はまた起こってもよいか?」と問うと,子どもたちは口々に「二度とこの悲劇を起こしてはいけない!」と答えます。
その声を受けて,上記の学習問題を設定しました。
その後,予想を考えさせると,「工場」「医療機関」「住民」「被害者」「行政(国,県,市)」「研究機関(大学)」などのいろいろな立場の人が,いろいろな取組をしている,という予想にまとめられました。
次時は,その予想について議論し,追究活動に移ります。
その授業の様子を,ビデオ遠隔授業として新潟大学教育学部の講義室にライブ中継します(12/11 1限目)。学部生の皆さん,お楽しみに!